自我の危機

1. 自己開発の欠如: 自分の興味や能力を開発するための時間がないと「現在もっているもの」「現在もっている興味」だけで生きる受動的な状態に陥りやすくなってゆく。
2. 自己分析の欠如: 束縛された状態からあまりに長く抜け出していないと、しだいに「自分」なるものが失われていき、そのかわりに周囲と帳尻をあわせているだけの、不満足な自分がその場所を埋めていきます。
3. 視野の狭い競争関係を強いられる: 価値の軸が単一だと「あの人に比べて評価が、年収が低い」というような単調な競争関係の中で苦しむ事が多くなります。
4. 価値観の混乱: 上と似ていますが、自分を測るための尺度の目盛りが混乱してしまうことを指しています。たとえば「年収100億円以下の人は負け組」というような目盛りは馬鹿げていますが、「1000万円」「500万円」だったらどうでしょう? 数字はどうあれ、この目盛りを受け入れた時点で私たちはこの目盛りに対して自分を測る事になります。健全な目標意識の目盛りならいいのですが、目盛りの混乱は無用な、変な飢餓状態を生み出します。「ああ、MacBook Air をトイレも含めて部屋に一台ずつ置いておけない自分はなんて不幸なんだ!」(笑)

怖いですね…。これらが極度に進行すると、周囲の期待や社会的役割に応えるだけの自動人形みたいになってしまい、「自分ってどんな人間だっけ?」という疑問にすら答えられなくなりそうです。

周囲に気を使いすぎて、自己主張が苦手な人って、陥りやすいのではないでしょうか?

>

  • 「自分はいまどこに立っているのだろう?」
  • 「次にやろうとしていることは、他の人からみてどんな重要性をもっているのだろう?」
  • 「自分はこの論文をだそうと必死になっているけど、それってそんなに大事な事だっけ?」

自分にとって出張がいつも開放的なのは、こうした「自分と向き合う時間」が強制的に目の前に広がるからでもあります。

処方箋は、自分に問いかける