頑張れという応援

頑張れと言うことを、ためらった時期もありました。
理由は、充分に頑張っている時に、頑張れと言うのはオカシイという思いがあったから。

ですが、今では「ガンバレ」とためらわずに言う
それに、言われたいと思うようになった。

「ガンバレ」と言うのは、確かにもうちょっとだけ我慢して続けてみたら?というニュアンスで使っていると思う。そして、我慢することで素晴らしいものが得られることを知っている人が言えるんだと考えている。
ラソンでも「ガンバレ」という声援は、きついときももうちょっと我慢すれば、より良い成績でゴールすることができる。「そのために今まで走ってきた事を知っているよ」と言われているように捉えることができる。応援されると嬉しいし、我慢してみようと思う。素晴らしい言葉だと思う。



まとまりが無い感じですが、「ガンバレ」と言われたくないとのたまう方々は、期待されることが嫌なんだろうと思う。自分の限界は自分がよく知っていると思いこんで、飛躍できる可能性を逃してしまっているようで不憫に思う。表現として言い過ぎでしょうが、応援してくれる人の存在を否定してしまうことはとても不幸だと思った。

http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2606