なりきるということ

別に信仰心が厚かったわけではない人が、1年間、聖書に書いてあるとおりに生活を行ったらしい。
その結果、人のあら捜しがなくなったり、祈りに尊さを見出してきたらしい。
人って不思議ちゃーん。

この人の経験は煎じ詰めれば「自分がなりたい人物像があるなら、まるでその人になったフリをすれば、じきにフリが本物になる」ということを教えてくれています。

仕事ができるようになりたい? それなら、自分が思い描く仕事ができる人になぞらえて行動し、服装を整え、言葉遣いを変えて毎日を過ごしてみます。すると形式が思考に影響をして、次第に自分が思い描く方向へと近づいていきます。

内気な性格を変えてみたい? それなら、自分から話しかける人、周囲に好かれる人をイメージして、毎日一つずつ、そのイメージにそった行動をとってみます。以前までは無理だと思っていたことが、次第に可能の領域に入ってきます。

この記事を読んでいると、人生は壮大な実験場という気がしてきます。 イメージでは、大人になって人生の形が固まってくるともう、あまり自分自身を変化できないのかと思いがちですが、ぜんぜん甘かったですね。私もここまでラディカルではないにせよ、より面白い方向に人生をハックしてみたいと思います。

聖書の教えを全て守って一年間を過ごすと... | Lifehacking.jp

なりきってみるという事は、それだけ具体的にイメージができているという事。
イメージできている事は実現できる。後は、実践するための行動だけ。
今までの自分を壊す・変わる勇気を出すだけ。